
2024年の元旦、職人たちの手はとまってしまった。
石川県能登半島を中心に甚大な被害を出した
能登半島地震は、能登・輪島の人々の日常を一変させてしまう。
仮設住まいでふつうの生活もままならない中、
輪島塗職人たちは職場である工房を失っていた。
夫婦で輪島塗職人をしているM様夫妻も自宅兼工房が火災で全焼。
作業道具、作品も全てがなくなってしまう。
もう仕事はできないのではないか。
そんな不安な状況の中、お二人がまた手を動かし始める
きっかけになったのはPACOだった。
輪島塗り復興支援として貸し出された30棟のうち1棟を
臨時工房として使用できることに。震災から10ヶ月後のことだった。
石川県能登半島を中心に甚大な被害を出した
能登半島地震は、能登・輪島の人々の日常を一変させてしまう。
仮設住まいでふつうの生活もままならない中、
輪島塗職人たちは職場である工房を失っていた。
夫婦で輪島塗職人をしているM様夫妻も自宅兼工房が火災で全焼。
作業道具、作品も全てがなくなってしまう。
もう仕事はできないのではないか。
そんな不安な状況の中、お二人がまた手を動かし始める
きっかけになったのはPACOだった。
輪島塗り復興支援として貸し出された30棟のうち1棟を
臨時工房として使用できることに。震災から10ヶ月後のことだった。
もちろんすぐに作業が再開できるわけではない。
元通りという訳でもない。
けれども、前を向き作業を再開しようとするお2人には支援が集まった。
全国から作業道具も応援として集まり、
作品も廃業をよぎなくされた輪島塗作家さんから譲ってもらった。
たった8坪の小さな空間。十分ではないかもしれないが、
そこは、確実に職人が手を動かすための工房になっていた。
作業をしながら他愛もない話をする瞬間が、いちばん楽しい。
伝統に縛られず、新しいものをつくっていきたい。
元通りという訳でもない。
けれども、前を向き作業を再開しようとするお2人には支援が集まった。
全国から作業道具も応援として集まり、
作品も廃業をよぎなくされた輪島塗作家さんから譲ってもらった。
たった8坪の小さな空間。十分ではないかもしれないが、
そこは、確実に職人が手を動かすための工房になっていた。
作業をしながら他愛もない話をする瞬間が、いちばん楽しい。
伝統に縛られず、新しいものをつくっていきたい。
2人の工房には、
輪島塗のスケートボード、自主制作の震災をテーマにした作品まで
輪島塗のイメージを変えるような創作物が並べられていた。
空間の大きさではなく、つくる人によって形や使いやすさが変えられる。
そんな自由さが、PACOらしさなのかもしれない。
輪島塗のスケートボード、自主制作の震災をテーマにした作品まで
輪島塗のイメージを変えるような創作物が並べられていた。
空間の大きさではなく、つくる人によって形や使いやすさが変えられる。
そんな自由さが、PACOらしさなのかもしれない。
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